
自分は止まっているはずなのに、隣の車が動いた途端、思わずブレーキを踏み直したことはないだろうか。
車が実際には止まっていても、隣の車や周囲の景色が動くと、自分自身が動き始めたように感じる場合がある。その理由の一つが「ベクション(視覚誘導性自己運動感覚)」と呼ばれる現象だ。
視覚から受け取る動きの情報は、脳が自分の移動を判断する手掛かりになる。ただし、隣の車が動けば必ず錯覚するわけではなく、実車の状況や個人差まで一つの実験で説明できるわけでもない。
隣の車が動いた瞬間、なぜ自分が後退したように思うのか
信号待ちで横に大型車が並んでいる。自分の車は停止したままなのに、横の車がゆっくり発進すると、一瞬だけこちらが後ろへ滑り出したように感じる。足を踏ん張ったり、ブレーキに意識を戻したりすることさえある。
このとき、目が捉えているのは「自分と隣の車の位置関係が変わった」という事実だ。しかし、その変化が自車の移動によるものなのか、相手の移動によるものなのかは、動くものだけを見ていても決められない。
ベクションとは何か。目が捉えた動きが、自分の移動になる
電車で停車中、隣のホームの列車が発車した瞬間に「こちらが動き出した」と思った経験はないだろうか。これもベクションの身近な例として知られる。現実の体の移動がなくても、動く視覚情報が自己運動の感覚を生む現象である。
2012年に発表されたSeno・Fukudaの研究は、この「列車の錯覚」をコンピューターグラフィックスによる実験でも再現し、映像にどのような意味を与えるかによって自己運動感覚が変わりうることを報告した。単に風景の速度だけでなく、「何が動いていると理解するか」も感覚に関わるという点が興味深い。
動いているのは目の前の車か。それとも自分か
車内から横を見ると、隣の車体や窓が視界を大きく占めることがある。その相手が動き出せば、視野の広い範囲に動きが生まれる。動く景色を見たときに自分の移動が感じられるという現象の性質からすれば、こうした場面で錯覚が起こりうることは理解しやすい。
ただし「隣車が何秒動けば起きる」「視界の何割を占めれば発生する」といった実車共通の数値はここでは示せない。研究で用いた映像刺激と、窓・柱・路面・車体の一部が同時に見える実際の車内とは条件が異なるためだ。
目だけではなく、内耳と体の感覚も判断材料になる
自分が動いているかどうかを判断する材料は、視覚だけではない。内耳にある前庭器官は頭の動きや加速度の情報に関わり、筋肉や関節からも体の状態について手掛かりが届く。脳は複数の感覚を合わせて、自分がどう動いているかを捉えている。
だから、視界の一部が流れたという情報と、体から届く静止の手掛かりが噛み合わない瞬間がある。ただし、それらの情報が何秒で統合され、錯覚が消えるかを全員に共通する法則として語ることはできない。ベクション自体も主観的な感覚として研究されている。
錯覚を感じたときに、慌てて動かない
自分の車が動いたのか判断に迷ったら、まずはブレーキを保持し、停止状態や周囲の安全を落ち着いて確かめたい。隣の車だけでなく、路面や固定された建物、周囲の状況にも目を向けることが、相対的な動きを見分ける手掛かりになる。
これは日常運転での安全確認の考え方であり、特定の視線移動が錯覚を確実に止めると研究で実証された、という意味ではない。繰り返すめまい、ふらつき、停車していないときにも続く異常な感覚まで、すべてをベクションで説明することも避けたい。
CWT VIEW|止まっている車も、視界の中では走っている
運転するとき、私たちはメーター、エンジン音、タイヤの感触だけでなく、窓の外を流れる景色からも走行状態を感じ取っている。つまり、車の「動き」は車体の中だけで完結していない。
信号待ちの数秒にも、脳は自分と周囲との関係を読み続けている。隣の車に一瞬だけ動かされたように感じたとき、それは視覚が自分の位置を理解しようとしている証拠の一つなのかもしれない。
よくある疑問
自分の車が後退したように感じるのは車の故障?
錯覚だけでそのように感じることはある。ただし、実際の車両移動や整備上の問題を見ずに除外することはできない。まず安全に停止状態を確認することが重要だ。
電車でも同じ現象が起きる?
起きることがある。停車した列車から隣の列車を見る場面は、ベクションの代表的な例として研究で扱われてきた。
隣の車が発進すれば、誰でも錯覚する?
必ずしもそうではない。視覚刺激の内容や状況によって感じ方は変わり、発生の有無や強さには差がある。
まとめ|自分が動いたのか、景色が動いたのか
停車中に隣の車が動くと、自車まで動いたように感じることがある。ベクションは、実際に移動していなくても視覚情報によって自己運動感覚が生まれる現象だ。
その感覚を知っておくことと、実際の車が動いたかどうかを確かめることは別の話。驚いた瞬間こそ、まず止まっている状態と周囲の安全を確かめたい。
執筆・編集:CRAFT WORKS TOKYO
視覚誘導性自己運動感覚(vection)の実験研究と方法論レビューを参照し、実験で確認された知見と車内の日常場面への解釈を分けて構成した。車種・視野角・持続時間に共通する発生条件や事故予防効果は断定していない。
情報確認:2026年10月25日。CRAFT WORKS TOKYOについて

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出典・参考資料
- Seno, T. & Fukuda, H. (2012). Stimulus meanings alter illusory self-motion (vection)—experimental examination of the train illusion. Seeing and Perceiving, 25(6), 631–645. DOI:10.1163/18784763-00002394.
- Kooijman, L. et al. (2024). Measuring vection: a review and critical evaluation of different methods for quantifying illusory self-motion. Behavior Research Methods, 56, 2292–2310. DOI:10.3758/s13428-023-02148-8.

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